今回は、パラオの中心地コロール島とバベルダオブ島の間にかかるKBブリッジを特集! KBブリッジは、コロール(Koror)とバベルダオブ(Babeldaob)の頭文字を取ってKBブリッジと呼ばれていますが、別名、日本パラオ友好橋(Japan Palau Friendship Bridge)とも呼ばれています。 空港からコロールのホテルに行く際や、ガラスマスの滝のツアーなどに行く際には、必ず通るパラオにとっては非常に重要な橋になっています。このKBブリッジの歴史と、写真を紹介します。
KBブリッジのご紹介
KBブリッジの歴史
このKBブリッジには、色んな歴史があるので、ご紹介します。 初代KBブリッジが出来たのが、1977年に韓国の会社によって造られました。
しかしながら、1997年9月に、橋が崩壊してしまったそうです。KBブリッジは、車が通るだけでなく、電気や水道といったライフラインの通っていたため、パラオの方は非常に困ってしまい、この事件のことを『暗黒の9月事件』というそうです。
そこで、パラオの窮地を助けたのが、日本なのです。日本のODA(無償援助)によって、大手ゼネコンの鹿島建設が再建して、2002年に完成。この橋は、補修をしなくても、50年は壊れないと保証しているとのことで、島国のパラオを支えています。
美しい海で有名なパラオは,約200の島々からなる小さな国。空港などのあるパラオ最大のバベルタオブ島と,経済・行政の中心であるコロール島を結ぶ,コ ロール・バベルダオブ橋が,かつて同国を支える生命線であった。しかし,1996年に橋が崩落したため,新しい橋が建設されることになった。 工事では,当地が工業の発達してない島国であることから,材料の調達が着工前から問題となった。「生活物資を輸送するコンテナ船が週1回しかなく,軍手 やビニールテープなどの生活用品でさえ,手に入れられない場合もある」と,語る柏村所長の言葉からもその苦労がうかがえる。このような状況で,主要な重機 は日本から持ち込み,大量に必要な材料は使用する時期を厳密に予測したうえでフィリピンなどから調達している。 また,工事のハイライトとなる鋼製橋桁の中央ブロック取付けでは,「日本から調達した橋の材料を,人件費の安いベトナムで部材として組み立て,中国で完 成させた。現地では,取付け作業だけをするようにした」(同所長)と,第三国での製作・調達がコスト削減に貢献する場合があることを指摘する。この工事で は,建設地の実情に即した調達と施工法が実践されている。
橋の入り口には、日本とパラオの国旗が入った案内板が掲げられています。パラオの人は、日本(鹿島)がタダで橋を作ってくれたと伝わっていて、非常に日本が感謝されています。パラオは、魚や海が素敵ですが、戦前も今も日本とのつながりが深い国です。是非、旅行した際には、子供にパラオと日本の歴史を伝えてあげると、更に旅行が素敵になるのでは。
橋の様子
コロール島からバベルダオブ島に進むKB橋の入り口です。左側に、日本とパラオの国旗が掲げられた案内板があります。
KBブリッジ自体は、片側一車線の橋で、長さ413mとなっています。橋の両側には、綺麗な海が広がっているので、運転手以外の方は景色を楽しんでみては。
日本が援助しているもう一つの橋『ミナト橋』
KBブリッジ以外にも、日本が支援した橋があります。こちらは、ミナト橋という名前で、コロール島とマラカル島の間を繋いでいる橋です。ミナト橋という名前の通り、戦前の日本統治時代の橋の名前をそのまま現在も使っているそうです。
こちらの橋も、日本のOAによって、橋の補修改善が行われたようで、日本の国旗と説明文が橋のふもとにあります。
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Ken
男性 / 40代 / 東京都 / おでかけ達人日本とパラオの融和の象徴!