今回は、西郷隆盛と並んで、薩摩藩出身の明治維新の立役者である大久保利通をご紹介します。加治屋町周辺には、大久保利通銅像と大久保利通生い立ちの地と誕生地があります。西郷隆盛と大久保利通が本当に近所同士だったことが歩くと良くわかりますよ。歴史好きな方は是非チェックしてみては。
スポンサードリンク大久保利通銅像
大久保利通銅像は、空港から鹿児島中央駅へのバスに乗っていると見ることが出来ますよ。路面電車が通り県道21号の高見橋を渡って直ぐの場所にありますよ。昭和54年に中村晋也氏によって、製作されました。
大久保利通の解説
為政清明
大久保利通の座右の銘である『為政清明』の碑があります。大久保利通が暗殺される前に、自ら描いた書が石碑となっています。この言葉の意味は、政治を行うものは心も態度も清く明るくなくてはいけないという意味が込められているそうです。大久保利通のイメージは、西郷隆盛と比較して、あまりよくない印象かもしれませんが、暗殺されたときには財産はなく借金しか残っていなかったそうです。借金を返済する為、鹿児島県庁に寄付していたお金を戻してもらい、募金も集めて、返済したそうです。
インスタグラムの写真&コメント
大久保利通生い立ちの地
加治屋町の歴史ロード『維新ふるさとの道』には、大久保利通生い立ちの地があります。大久保利通は、生まれたのは高麗町という加治屋町の隣の町ですが、幼少期に加治屋町に引っ越してきて、西郷隆盛と出会っています。
説明碑
明治22年に造られた大久保利通を紹介する碑があります。
裏面に刻まれている名前です。大山巌を筆頭に、西郷従道、黒木為楨、東郷平八郎など、加治屋町出身で明治政府で活躍している人の名前が刻まれていますので、裏面も見てみては。
大久保利通誕生地
加治屋町から高麗橋を渡って反対側には、生まれてから幼少期まで住んでいた場所です。小さな碑だけ立っています。自分は気付かずに行っていないのですが…。
勝手に口コミ評価
司馬遼太郎の小説『翔ぶが如く』を読んだことがある人など、明治維新の歴史や薩摩藩の歴史に興味がある人は、是非、加治屋町周辺を散策してみては。西郷隆盛や大久保利通だけでなく、日清日露戦争で活躍した山本権兵郎や東郷平八郎や大山巌などの偉人が同じ町内から輩出したことを実感できるかと思います。町を歩いていると、誕生地の碑があるので、その距離の近さにびっくりするかと思います。あまり興味がない人は、路面電車やバスから眺めるだけでも良いかもしれません。
総合 | ★★☆☆☆ |
施設充実度 | ★☆☆☆☆ |
雰囲気 | ★★★☆☆ |
料金 | ★★★★★ |
アクセス | ★★★☆☆ |
Ken
男性 / 40代 / 東京都 / おでかけ達人:一人旅