今回は、パラオの中心地であるコロール島に残る戦前の日本統治時代が感じられるスポットを特集!戦前には、パラオの現地の方よりも多い、2万人近い日本人がパラオに住んでいたそうです。コロールの中心地にも、昔の名残が感じられる建物などが残っているので、紹介します。コロールのメインストリートを散歩する際などに、参考にしてください。
スポンサードリンク南洋庁(最高裁判所)
現在、パラオの最高裁判所で利用されている建物ですが、日本統治時代には、南洋庁パラオ支庁という行政府が置かれていた建物です。
昌南倶楽部(パラオ高校)
メインストリートの南洋庁の反対側にある『昌南倶楽部』があった場所に残っている門柱です。
中には、国旗掲揚台のようなものが残っています。
石の柱にかかれている文字をアップで撮影したものです。横田郷助という名前が書かれています。ネットで調べてみると、統治していた南洋庁の第二代長官のお名前のようです。
パラオ公園跡
南洋庁の建物の近くにあるガソリンスタンドは、昔、パラオ公園という名前の公園だったようで、石碑のみ残っていました。
防空壕跡
こちらも、メインストリートの南洋庁を挟んで反対側にある建物の前に、防空壕の入り口が2つ残っています。
残念ながら、防空壕自体は、砂で埋もれていて、中に入ることは出来ませんでした。
アサヒ球場
昔もアサヒ野球場と呼ばれていた場所が、現在でも野球場として残っています。
水陸両用戦車/特二式内火艇
野球場の周辺には、無線塔が立っていたとのことで、その防御のためか、野球場の裏側に、ひっそりと日本海軍の水陸両用戦車(特二式内火艇)が残っています。戦車の上には、対空高射砲(九六式二十五粍高角機銃)が載せられています。
南洋神社の燈籠
http://blog.goo.ne.jp/kinn2007/c/5cb89db5b6af03a0ef9b6e2b284c11fb
メインストリートをコロールの中心地からKBブリッジの方に進んでいくと、燈籠が置かれているのが見えます。こちらの灯籠は、南洋神社の参道入口にあり、神社自体は戦後廃止されたのですが、1997年に再建されたそうです。
旧観測所(国立博物館リサーチセンター)
現在、パラオ国立博物館の中にあるリサーチセンターとなっている別館が、昔、気象観測所として使われていた建物です。
旧波止場(パラオ国際サンゴ礁センター)
日本とパラオの船便が使っていた思われる旧波止場が、現在、パラオ国際サンゴ礁センターとなっています。
天皇陛下が、ペリリュー島に慰霊されたときに、こちらの施設にも立ち寄られたそうで、菊の御紋がついた壺が展示されています。
いつの時代のものかはわかりませんが、錨も置かれていました。
日本統治時代の建物調査地図
日本建築学会の方が調査したレポートで造られたコロールの日本統治時代の建物を紹介している地図です。詳しくは、参考サイトをご覧ください。
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