【ペリリュー島 観光ツアー】パラオの戦跡ツアーも参加しよう!

IMG_1048今回は、パラオのペリリュー島の観光ツアーを特集!

ペリリュー島は、2015年に天皇陛下が慰霊に訪れたことで話題になった島で、太平洋戦争の時に、激戦が繰りひろげられた島です。1万人以上の方が玉砕しており、バンザイ攻撃をせずに、壕に隠れて戦った戦術は、硫黄島の戦いの参考にされたと言われています。

パラオのビーチリゾートで遊ぶのは、もちろん楽しいですが、1日はパラオと日本との歴史を知るツアーに参加してみるのも良いかと思います。

ペリリュー島への行き方

以前は、セスナの定期便があったようですが、現在は、廃止されており、公共交通機関を使ってペリリュー島に行くのは、とてもハードルが高いです。(週1便の定期船があるようですが、時間がない方には無理ですよね。)

旅行会社で企画されてされている1日ツアーに参加するのが、少ない旅行日程であれば一番オススメの方法です。ただ、日帰りツアーなので、どうしても見られるポイントが限られてしまうのがネックです。

じっくり見たい方は、ペリリュー島ツアーに参加して、そのままペリリュー島で1泊できないか聞いてみるのが良いかと思います。

ペリリュー島ツアーの会社

ペリリュー島観光は、ツアー代金120ドルとペリリュー入島税15ドルを合わせた135ドルが、ツアー会社共通の料金のようです。パラオのオプショナルツアーは様々な会社から販売されていると思いますが、運営しているのはパラオ専門の現地旅行代理店の2社が、ペリリュー島に日本人スタッフが常駐していて、ツアーの案内をしてくれます。ちなみに、大人3人以上揃わないと、ツアーが成立しなかったり、追加料金を取られるので、希望日にツアーがあるかどうか、両社に聞いた方が良いと思い増す。

インパックツアー

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)HISと提携している現地旅行代理店です。自分は、ホテルにあるインパックツアーのカウンターで希望日のツアー運行状況を聞いたら、たまたまOKだったので、こちらのツアーを参加しました。自分が行った時には、30歳前後のイケメンが案内してくれました。

ベラウツアー

自分が予約したパックツアーと提携していたツアー会社です。残念ながら、こちらのツアーでは話を聞いていないので詳しくはわかりませんが、インパックツアーと2大パラオ現地ツアー会社のようです。

ツアー内容の紹介

今回参加したインパクトツアーのペリリュー島観光コースをご紹介します。朝8時45分にホテルを出発して、4時過ぎにホテルに戻ってくる1日コースとなっています。訪れた順番に紹介していますので、ツアーに訪れる方や検討している方は、参考にしていただけると幸いです。なお、他のブログなどを見ると、会社や日によって、コースが若干異なるようです。

ボートでペリリュー島へ

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)ペリリュー島には、コロールからボートで約1時間です。とても戦争があったとは思えないような綺麗な景色の中をボートが進んでいきます。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)ペリリュー島の港です。かなり簡素な港でびっくりしました。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)港では、日本語でお出迎えの看板があります。この後、ホテルでトイレ休憩をして、ペリリュー戦跡ツアーがスタートします。この後、トイレ休憩はお昼までないので、必ず行っておきましょう。

戦争博物館

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)日本軍が弾薬庫として使用していた建物を博物館として利用しています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)戦争直後の写真です。アメリカ軍は、病院として使用したそうです。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)砲弾や火炎放射器などで、ほとんど木がなくなっている写真です。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)館内には、日本軍の兵器などが置かれています。こちらは、92式機関銃とのことです。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)ボロボロになった国旗も展示されています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)アメリカ軍が撒いた投降ビラも展示されていました。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)こちらは、戦争が終わっても、降伏せずに戦っていた方たちが、終戦1年後に降伏した際の写真です。土田さんという方は、現在も御健在で、天皇陛下が慰霊された際にも、式典に参加されています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)ちなみに、ツアーの途中で、戦後まで戦っていた生存者の方々が暮らしていた壕を紹介する碑も立てられて、ツアーで紹介されました。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)兵器など、アメリカ軍の紹介もされています。

発電所

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)車から見ただけですが、発電所跡の写真です。海軍司令部跡のすぐ近くにあります。

海軍司令部跡

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)コンクリートの柱のみが残った廃墟となった海軍司令部跡の建物です。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)艦砲射撃によって、大きく穴が開いています。2階建てとなってますが、2階の床も半分以上なくなっています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)2階の床がある場所に上がります。千羽鶴がささげられていました。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)2階のテラスからは、飛行場を見渡すことが出来たそうです。現在は、ジャングルになっていて、飛行場があったとは思えないような自然の力を感じます。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)1階には、トイレやお風呂場など生活感を感じる跡を見ることが出来ます。写真は、トイレの跡です。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)隣には、弾薬庫が残っています。こちらは、あまり建物が破壊されておらず、1階も綺麗でした。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)建物の隣には、防空壕があります。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)防空壕の中の様子です。コンクリートの頑丈な造りです。フラッシュを焚いて撮った写真なので、普段は暗い空間になっています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)隣には、アメリカ軍がつくったカマボコ型の建物が残ってます。

95式軽戦車

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)ペリリュー島には日本軍の虎の子の95式軽戦車が17両配置されていました。ただ、アメリカ軍の厚い装甲の戦車との戦いに、全滅した悲しい歴史の戦車です。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)運転席の様子を撮影した写真です。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)こちらは、95式戦車がある場所の周りの道の写真です。よく見ていただくと、キャタピラの跡がそのまま残ってます。戦車がどこを移動したかが、キャタピラの跡で感じることが出来ます。

米陸軍第81歩兵師団慰霊碑

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)ペリリュー島を慰霊した天皇陛下も訪問されたアメリカ軍81師団の慰霊碑です。昔は、2つの碑の周りには、たくさんの墓があったのですが、現在は、アメリカに埋葬されています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)2つの慰霊碑の間にある植木は、上から見るとUSAと書かれています。

オレンジビーチ

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)81師団慰霊碑の隣には、アメリカ軍が上陸したオレンジビーチがあります。上陸の際に、アメリカ軍と日本軍が激戦を繰りひろげ、たくさんの方が亡くなったビーチです。現在は、おだやかな海で、とても戦争があったことが感じらませんでした。

ゼロ戦

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)道路脇のジャングルに、ひっそりとゼロ戦の残骸が残っています。車輪が出ている状態なので、地上にいた時に、爆撃されたと言われています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)コックピットを撮影した写真です。

ペリリュー平和記念公園

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)ペリリュー平和記念公園です。こちらも、天皇陛下がペリリュー島に慰霊訪問されたときに、立ち寄られた場所です。前に見えるのが、日本政府が作った西太平洋戦没者の碑です。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)碑の下には、日本(靖国神社)の方角を示す矢印が置かれています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)平和への想いが書かれており、千羽鶴がささげられています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)ペリリュー島の日本兵士は水を飲むことができず亡くなった方が多かったので、亡くなった方が雨水を飲めるようにと、雨水を集めやすいカマボコ型になっているとのことでした。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)公園からは、パラオでペリリュー島とともに激戦地であったアンガウル島が見えます。

サウスドッグ

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)サウスドッグで、お昼ご飯を食べます。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)ランチの弁当です。

飛行場

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)飛行場です。定期便は飛んでおらず、滑走路はデコボコで飛行機が離着陸できそうには思えませんが、現役で使われているようです。

ペリリュー飛行場3

http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2011/08/post-39b8.html

むかしは、交差した2本の滑走路がありましたが、現在は1本のみとなり、もう1本はジャングルとなっています。

空港周辺の戦跡

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ)飛行場の近くにあった小学校の跡地です。現在は、入口の門の柱のみ残っています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ日本軍の爆薬庫とのことです。車で通り過ぎただけなので、詳しいことはわかりませんでしたが・・・。

LVT

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオアメリカ軍の水陸両用車(LVT)です。日本の軽戦車と比較すると1回りも大きなサイズであることが感じられます。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ砲台をアップした写真です。ジブリで出てくるキャラクターの顔に似ていないでしょうか?宮崎駿監督は、戦時の兵器に詳しく、参考にされているのではとガイドの方が言っていました。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ背面には、かすかに星のマークが見えます。

大砲跡

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ何という名前の大砲かはわかりませんが、ほぼ完全な形で砲台が残ってました。こちらの砲は、アメリカ軍が上陸した浜と反対側に置かれているので、実際には使用されることがなかったそうです。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ砲を後ろから撮影した写真です。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ砲の後ろにある洞窟スペースです。2012年のハリケーンがペリリュー島を襲ったときには、観光ガイドのホテルのスタッフの方がこちらの洞窟に逃げ込んで、ハリケーンが通り過ぎるのを待ったそうです。(ペリリュー島には、頑丈な建物がないため、2012年のハリケーン時には、旧日本軍の施設に避難する人が多かったそうです)

Bloody Nose Monument

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ日本軍が最後まで抵抗したペリリュー島の一番高い大山には、アメリカが整備しているBloody Nose Monumentという展望台があります。途中には、日本軍の顕彰碑が置かれています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ大山の展望台に登る途中に、ジャングルトレイルができる道があります。こちらは、地雷や不発弾などを処理した小道をイギリスとオーストラリアが整備したとのことで、先には、中川大佐が自決した洞窟があるそうです。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ展望台から見えるオレンジビーチです。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ展望台には、アメリカ軍の慰霊碑があります。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオペリリュー神社に向かう途中の山沿いを見ていくと、壕の後が見れるようになっています。壕が2つありますが、1つには、砲の土台で使われていたと思われる車輪が残っていました。(専門家ではないので、詳しくはわかりませんでしたが・・・)

ペリリュー神社

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ新しく再建されたペリリュー神社が、中川大佐が自決した大山のふもとにあります。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオペリリュー神社の境内には、アメリカの太平洋艦隊司令長官であったミニッツの言葉『諸国から訪れる旅人たちよ。この島を守る日本軍人が、いかに勇敢な愛国心を持って戦い、そして玉砕したかを伝えられよ』が碑として置かれています。

アメリカ軍第一海兵師団の慰霊碑

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオペリリュー神社の隣に、ペリリュー島の日本軍と戦ったアメリカ軍の第一海兵師団の慰霊碑が置かれています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ第一海兵師団は、ガダルカナル島などで日本軍を打ち破ってきた精鋭部隊でしたが、日本軍の善戦により壊滅的な被害を受け、他部隊と交代したほど、アメリカも多大な被害を受けたとのことです。先ほど紹介した平和記念公園には、靖国神社の方角が示されているように、第一海兵師団の慰霊場所には、ガダルカナルを示す標識が置かれています。

墓地

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ島民の墓地の一画に、日本の方の墓地があります。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ渋谷のスクランブル交差点にある本屋『大盛堂書店』を見たことがある人も多いのではないでしょうか。実は、創業者である舩坂 弘さんは、ペリリュー島の隣のアンガウル島に活躍された方で、戦後、パラオの収骨慰霊に尽力された方で、真ん中の慰霊碑は舩坂 弘さんが建立したものだそうです。

また、下にある中川大佐の碑は、天皇陛下の慰霊に合わせて作られたものだそうです。

千人洞窟

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオペリリュー島に上陸した船着き場の近くにある『千人洞窟』と呼ばれる壕に入りました。ガイドの方が懐中電灯を持って中に入りましたが、自分でライトを持参すると良いと思います。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ入口に掲げられている英語の案内板です。手榴弾などの爆発物を除去したことが書かれています。また、千人洞窟の地図が書かれているので、事前にチェックして入ることをオススメします。(特に、ガイドがいない方は)

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオフラッシュをたいて撮った写真なので、先が見えますが、明かりがなければ真っ暗な空間です。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ戦争当時に使われていたビンがたくさん並んでいます。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ千人洞窟の外には、米軍の火炎放射器で焼かれた後が今でも黒く焦げて残っています。

港近くの戦跡

橋脚跡

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオペリリュー島の隣にあるカドブス島があり、日本軍の飛行場があって、橋でつながっていたようです。現在は、橋脚の一部が残っていて、島自体は無人島になっているとのことです。

トーチカ

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ千人洞窟からすぐ近くにあるトーチカです。こちらのトーチカは土に埋もれておらず、すぐにわかるようになっています。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ隣には、半分以上土に埋もれたトーチカもあります。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオこちらは、車の中から撮影した写真ですが、道路沿いにトーチカのようなものがありました。詳細はわかりませんが、千人洞窟の近くにあります。

日本とペリリュー島の接点

戦跡だけではなく、現在のペリリュー島と日本とのつながりを感じられたものを紹介します。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ消防車や救急車は、日本から贈られたものです。常陸大宮市と書かれた消防車です。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ港の床には、日本の援助が書かれた碑が置かれていました。

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ施設だけでなく、ペリリュー島の小学校では、JICAから派遣された日本人が、数学を教えているそうです。

インスタグラムの写真&コメント

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ

ひさしぶりにみんなに会ったらいろいろ思い出すことがあったな〜〜🇵🇼 テスト大嫌いだけどみんなに会えるの楽しいからいいや — (笑顔で撮るような写真じゃないけどカメラを向けられるとっていう言い訳。) この戦車は日本軍のもの。 滑走路をめぐって戦っていたペリリュー島の戦い。 まさにこの戦車はその滑走路に向かってる途中で時間が止まってるんだ。 #ゼミ#戦車#戦跡#語りたいことはたくさん#パラオ#ペリリュー島@Minaaaloha

ペリリュー島の戦跡観光ツアー(パラオ

今日はずっと行かなきゃと思ってた ペリリュー島へ 戦争の傷跡がなまなましくありのまま 島中に残されてた ほんとにすごかった 言葉では何もうまく説明できないけど とにかく『傷つけあう』のは 何かが違うと強く思った 憎しみでは人は戦えない 愛のために人は戦った ペリリュー島に残っていた文字が 心に突き刺さってる 傷跡が長い時間の中で自然に帰ってく姿を パラオの人はあたたかくありのまま 見届けているがすごくすごく染みた1日 パラオは本当に素敵な島 #パラオ#ペリリュー島#戦争#心#愛 #自然@aloha0405

 

2016-01-10

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