今回は、西郷隆盛が西南戦争の最後の5日間を過ごしたと言われている西郷隆盛洞窟をご紹介します。大きな洞窟でもなく、歴史に興味がない人にとっては退屈かもしれませんが、鹿児島市の西郷隆盛の足跡をたどる旅行をしている人には必須の場所ですよ。
西郷隆盛洞窟のご紹介
洞窟の紹介
西郷隆盛が、西南戦争の末期に、桐野千秋、別府晋平、村田新八、池上四朗といった西南戦争の幹部と共に過ごした洞窟と言われています。2月15日に挙兵してから、9月24日に自害するまでの西南戦争の最後の5日間を過ごしたとのことです。
西郷隆盛の洞窟
西郷隆盛が最後の5日間過ごしたと言われている洞窟です。隣り合わせの洞窟が2つありますが、奥深く続いている洞窟でもなく、ちょっとした窪みという印象でした。
2つの洞窟を合わせても10人くらいしか入れなそうな広さだと感じました。
西郷隆盛の碑
洞窟の前には、歴史が感じられる石碑が置かれています。ただ、いつ造られて、何と書いてあるかは理解できませんでした。
近場のオススメスポット
西郷隆盛洞窟資料館
西郷隆盛洞窟の隣にあるお土産屋さんには、西郷隆盛の銅像があります。かなり大きな西郷隆盛の銅像なので、記念写真を取ってみては。奥には、無料で入れる洞窟がありますよ。
洞窟の中には、西南戦争の様子を紹介した絵などが展示されています。
このような絵が展示されていますよ。
洞窟の中にも小さな西郷隆盛像がありますので、ビックリしないでくださいね。
長寿泉
洞窟の反対側には、長寿泉という名前の温泉もありますよ。鹿児島市内には、たくさんの温泉があるので、お気に入りの温泉を探してみては。こちらの温泉は、自分は入っていないのですが、観光センターの人はオススメしてました。
城山トンネル
西郷隆盛の座右の銘『敬天愛人』が飾られているトンネルです。市役所前などから洞窟まで歩いていく途中の道路からトンネルを見ると、トンネルの上に額が掲げられているのが見えます。敬天愛人とは、『天を敬い、人を愛する』ということです。
西郷隆盛終焉の地
明治10(1877)年9月24日、西南戦争の最終末にあたり、西郷隆盛以下彼に従った幹部が自刃ないしは戦死したと言われている場所です。西郷隆盛洞窟から歩いて、15分程度となっています。西南戦争で傷ついた西郷隆盛の気持ちになって歩いてみては。
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勝手に口コミ評価
西郷隆盛の洞窟自体は、小さな洞窟が2つあるだけなので、歴史に興味がない人にとっては、少し退屈してしまう場所だと思います。ただ、明治維新や西郷隆盛の歴史に興味がある人にとっては感慨深い場所だと思うので、オススメですよ。
総合 | ★★★☆☆ |
施設充実度 | ★★☆☆☆ |
雰囲気 | ★★★★☆ |
料金 | ★★★★★ |
アクセス | ★★☆☆☆ |
Ken
男性 / 40代 / 東京都 / おでかけ達人:一人旅