今回は、照国神社&探勝園にある幕末の時期に活躍された薩摩藩主の銅像をご紹介します。西郷隆盛の才能を発掘し討幕の礎を築いた第28代藩主の島津斉彬公像や、斉彬公死後の藩主の島津忠義公像や、忠義の父で大久保利通らと討幕・明治維新を推進した島津久光像があります。
島津3代の銅像のご紹介
島津斉彬公像
薩摩藩28代藩主の島津斉彬公の銅像です。大正6年に、彫刻家の朝倉文夫によって製作されました。
島津斉彬公は、幕末の名君として知られており、西洋諸国の植民地化政策を恐れ、日本がひとつにまとまり、強く豊かな国づくりを目指すべきだとの思想を持っていました。西郷隆盛などの明治維新で活躍する人材の育成を行いました。また、西洋の知識の吸収にも積極的で、『集成館』という工場を作り、造船・製鉄・紡績・電信・ガラスなどの事業に取り組んだとのことです。しかしながら、藩主となって7年後に、急死してしまい、西郷隆盛や大久保利通が斉彬の遺志を継いで、明治維新を成し遂げました。
島津久光公像
奥には、島津久光公像があります。
久光は、第28代藩主の島津斉彬の死後、久光の子供である島津忠義が第29代藩主となりました。忠義の父の久光は、『国父』として、忠義の後見をし、大久保利通たちと明治維新を進めました。明治以降は、政府の左大臣に就任するも、明治8年に辞任し、鹿児島に帰郷。西南戦争では中立を守り、明治20年に病死しました。
島津忠義公像
一番奥には、島津忠義公像があります。
忠義は、島津斉彬の死後、第29代藩主として、藩政改革と陸海軍の充実を図りました。また、明治以降後には、鹿児島藩の知事や貴族院議員となり、明治30年似なくなったとのことです。
その他の碑
戊辰之役戦士顕彰碑
島津斉彬公之像の近くには、幕府軍と朝廷軍(新政府軍)が戦った戊辰戦争の顕彰碑があります。
戊辰戦争には、薩摩藩より約8000人が参加し、600名近くが戦没したとのことです。
幼年学校跡
明治になって西郷隆盛らによって作られた幼年学校跡の碑があります。
電信使用の碑
島津斉彬が西洋の文化を吸収して作った電信使用の跡です。本丸から探勝園までの500mの間に電線が引かれ、日本で初めて電信通信が始まった場所です。
護国神社頓宮
鹿児島護国神社が移転する前にあった建物があります。ちょっと寂れた感じになっていますが・・・。
太平洋戦争戦士之墓
護国神社がある為なのか、園内には、第二次世界大戦で亡くなった方への慰霊碑があります。
勝手に口コミ評価
幕末から明治維新にかけての薩摩藩の藩主に誰がなるかによって、薩摩藩の武士の運命や日本の運命も左右されたという歴史を感じながら、斉彬・久光・忠義の銅像を見ると、歴史を肌で感じることが出来て楽しいです。ただ、歴史に興味がない方は、照国神社だけ見れば、充分かもしれません。歴史好きな方に、オススメのスポットです。
総合 | ★★★☆☆ |
施設充実度 | ★★☆☆☆ |
雰囲気 | ★★★☆☆ |
料金 | ★★★★★ |
アクセス | ★★★☆☆ |
Ken
男性 / 40代 / 東京都 / おでかけ達人:一人旅