今回は、横浜市鶴見区にある潮田神社をご紹介します。大正9年に現在の地に作られた神社で、6月第1週の土日にはお祭りがおこなわれ、地元の人に愛されている神社です。また、隣には、潮田公園があるので、参拝の後には、公園で遊ぶことも出来ますよ。また、御朱印も紹介しています。
スポンサードリンク潮田神社のご紹介
鳥居
潮田神社は、鶴見駅から18分程度歩いた場所にあります。立派な鳥居が迎えてくれます。
手水舎
鳥居を入った右手には、手水舎があります。
広場
境内には、広場があり、平日の午前中に行きましたが、お年寄りがゲートボールを楽しんでいました。なお、周りには、桜の木も植えられており、春の花見のシーズンは素敵そうでした。
狛犬
左右に立派な狛犬がいます。
海翁石
拝殿
拝殿は、関東大震災では倒壊、第二次世界大戦の際では空襲に焼失してしまったそうです。現在は、昭和59年に再建された拝殿となっています。
御由緒
潮田神社の御由緒が書かれています。当社は、大正初期、京浜工業地帯の一大発展に伴い、耕地整理・区画整理による街造りのため、西潮田村の御嶽社と東潮田村の杉山社を合併し、大正9年、潮田神社と改称して、潮田地区の中心地点である現在地に鎮座されました。社伝によれば、景行天皇40年、日本武尊が東征征伐の航海の途中、旧西潮田村の古杉老松の鬱蒼たる地に小祠を建て、国土の神『国常立尊』、『豊雲野命』、『国狭槌命』を奉斎し、征途の無事安全を祈願したことが始まりだとされています。
中世に至り、潮田村は小田原北条氏の領地に属し、北条氏の信仰崇敬に殊に厚いものがありました。正親町天皇の御世、永禄の頃、太田道灌の曾孫太田新六郎康資の領地神社として、たびたび修復されたことが、東潮田村の杉山社に残る御神鏡からうかがうことができます。
また、正保十年、幕府社領一段四畝二十歩を寄進したことが御嶽大権現と称された西潮田村の御嶽社の棟札、鳥居等に残されています。
由来、東のお宮、西のお宮と親しまれ、特に土地が海浜であったため、房総漁民船が大量祈願に立ち寄るなど、潮田村および遠近の村里沿岸一帯の鎮護となりました。
潮田稲荷社
境内には、狛犬ではなく、キツネが祀られている稲荷神社もありますよ。
庚申塔
境内ではないのですが、潮田神社の隣には、開運地蔵尊庚申様と書かれた幟があり、庚申塔が祀られています。庚申塔とは、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔とのことで、神社の周りに、ひっそりとした祠があって、祀られていることが多いですよ。
潮田公園
潮田神社の隣には、鶴見区で2番目に大きい潮田公園があります。
遊具で遊べたり、広々とした運動広場がありますよ。
また、夏の時期は、屋外プールがオープンするので、水遊びも出来ますよ。
次のページでは、潮田神社のインスタグラムの写真をご紹介します。
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